丹藤川
2009年 08月 29日
その息子らは外の闇から帰って来た。肩はばがひろくけらを着て馬を厩へ引いて入れ、土間でこっそり飯をたべ、そのままころころ寝てしまった。
もし私が何かまちがったことを云ったら、そのむすこらの一人でもすぐに私を外のくらやみに連れ出すだらう。
火皿は黒い油煙を揚げその下で一人の女が何かしきりに仕度をしてゐる。どうも私の膳をつくってゐるらしい。それれならさっきもことはったのだ。
ガタリと音がして皿が一枚板の上に落ちた。
主人はだまって立ってそっちへ行った。
三秒ばかりしんとした。
主人は座へ帰ってどしりと座った。
どうもあの女はなぐられたらしい。
音もさせずに撲ったのだな。その証拠には土間がいやに寂かだし、主人のめだまは黄金のやうだしさ。
「丹藤川」
のちに手を入れて「家長制度」という作品に成立するこの小文は、1916(大正5)年5月、高橋秀松とともに、北上山地探訪を行った折の体験がもとになっているという。
岩手町岩手川口で、丹藤川沿いに歩いてみた。
このあたりは北上川に合流する手前である。大きな川幅で愕いた。小さなダムにして灌漑用水に利用しているらしい。
ヤマセミやキセキレイ、カワガラスの姿が見られた。
次回は一人で、此処で一日中バードウオッチングしてやろうと思った。
岸辺の茂みにはナツズイセンが誰にも気にされずに咲いていた。
高橋秀松の回想によれば、賢治と二人で土橋の上で寝ようとしていたら、一人の老人が現われて「オメエサンダチ、ナニシテル、こんな処で寝たら狼にやられるぞ、オラノウチサオデンセ」と声をかけられ、大きな曲り家に案内されたという。
狼がいたか?!
このあと、 国道4号線上で、狸の轢死体を見た。(祈冥福)
見つけたときは心も弾む思いでしょう・・いいなぁ~!
是非再度訪れてください(^_-)-☆
ハイ、思いがけないことでした。(^^♪ 環境的に考えれば、ふしぎではないのですが。
この川を行ったりきたりしてくれました。
ごらんのように番いだったのです。
都会だったら、きっと大勢のカメラマンが通うだろうなあと思いました。
もちろん、また、行きたいです。(#^.^#)
ホント、熊もどこかで見ていたかもしれません。
やはり客人をもてなすって、こんな風ですか?
客人の立場としては、いたたまれない気持ち、賢治の気持ちが、よく分かりますが。
さすが、イーハトーブは限りなく広いと感じました。(#^.^#)
カワガラスもキセキレイも写ってはいるのですが、……(涙) 遠い! ピンが甘い!
200ミリの望遠しか手元になかったのです。(涙)
北山崎の観光ポイントにはミサゴの営巣ありという看板?!が出ていました。
姿は確認できませんでしたが。