田中の地蔵さん
2009年 12月 24日
1室の定員は6名、内新入生は各科から1名宛で4名。
賢さんと私とは机を並べ、寝場所も隣り合っていた。
賢さんは、盛岡中学出なので、入寮の最初の土曜日の午後自ら市内案内の役を買って出た。
第一に案内してくれたのは、田中の地蔵さんで、石川啄木の詩まで引用。次は高松の池、不来方城址、天神山等であった。
(略)
高橋秀松「賢さんの思い出(一)」
立派なお地蔵様だったが、狭い敷地でたいそう窮屈そうであった。
どんな詩(短歌か?)なのか、どなたか、ご存知の方がいらしたら、ご紹介下さい。
高橋秀松は盛岡高等農林時代の友人である。
近くにこのような解説の看板もあった。
盛岡の町の風物をあれこれ書いている宮沢賢治ですね。
しかし、これは知りませんでしたよ。
nenemuさん、すごいですね。
あと、天神山とは?
高松の池も不来方城もわかるけれど。
大きな体なので、どのようなお願い事でも聞いてくれそうな気がします。
そして 田中と云われていることで、私の姓と同じなので、盛岡でお地蔵さんの親戚が出来ました。(笑)
宮沢賢治は、このお地蔵さんに何かお願い事したことあるのかな~。
啄木の歌や詩に「田中の地蔵さん」を詠み込んだ作品はなかったと理解しています。
しかし、小説「葬列」に、「かの有名な田中の石地蔵」という記述がありますので、賢治はこれを引用したのではないかと思われます。
その時、賢治は啄木の歌や詩を諳んじてみせたので、秀松には「石川啄木の詩まで引用」と印象付けられたのではないでしょうか。
なお、天神山とは盛岡天満宮のある丘のことで、盛岡での第一号啄木碑に加えて、啄木が愛した「石馬」の台座などに合計4基の啄木碑があります。
高松の池、不来方城址も含めて、この日、賢治が案内したのは「啄木ゆかりの地巡り」だったと、私は確信しています。
ほんとうにおおらかなお地蔵様ですね。
そうですか。田中ですか。盛岡に立派な親類が出来ましたね(^^♪
地域の方が大切に管理されているのも、人々に溶け込んだ守護神なのだなあといい感じでした。
賢治の願い? この時期はどうだったでしょうか。
さすが啄木の研究者でもいらっしゃいますね。(^^♪
そうですか。「葬列」ですか。
天神山のこともありがとうございます。
啄木はじっくり読んでいないので、たいそう参考になりました。
この時期の賢治は、啄木ファンと言ったところですね。
ご親切なコメントを戴いて、賢治の思い出を綴った高橋秀松の短い文章から、この時代の宮沢賢治が非常にくっきりしてきました。
感謝です。