ネパール
2010年 04月 18日
バンコックのテロ騒動、中国の青海省の大地震、アイスランドの火山噴火による空港封鎖など、あれこれあっての混乱を潜り抜け、やっとのことで戻ってきました。
勇ましい凱旋だといいたいが実はすっかり参ってきたのだ。(そんな童話もありましたね)というところです。
少しづつ、旅の報告をさせていただきます。しばらくお付き合いください。
まずは、こじつけ風ですが、nenemuの故郷、エベレスト感激の対面からです。
(略)
どこにたつた今歌ってゐたあのばけもの世界のクラレの花の咲いた野原があつたでせう。
実にそれはネパールの国からチベットへ入る峠の頂だったのです。
童話〔ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記〕
画像中央の後方が8848mのエベレスト。左側の尾根の向こうがチベットである。
右側は雲ではなく雪煙。この時期、雪は風に飛ばされ、積雪しないとのこと。
作品は「グスコーブドリの伝記」の原型でもある〔ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記〕の一節。
世界裁判長となったネネムが、ついうっかり足を踏み外して、ばけもの世界から人間界へ、
出現罪を犯してしまう一場面である。
今回の旅は友人のお誘いで、安曇野の電気総長の率いる山歩きのベテラングループ(総勢11人)に、お供させていただきました。
ヒマラヤトレッキングといえば、誰でも、「えっ、あんな高いところに登るの」「雪山で寒いでしょう」「高山病は大丈夫?」と、心配してくれますが、実際には、ネパールは奄美大島と同じくらいの緯度で、亜熱帯地域。
8000メートル峰を眺めながら、ゆっくりゆっくり歩くだけ。
シェルパと呼ばれるガイドさん、コックやキッチンボーイ、荷物をすべて担いで運んでくれるポーター付きの大名旅行です。(しかし、日頃の運動不足を考えると、不安でありました)
ネパールへは日本からの直行便はなく、バンコクからカトマンズへ入り、カトマンズからルクラまで飛び、我々はそこから歩き始めました。ですからスタートまでに2日間もかかるのであります。
頼もしき電気総長の取り計らいで、エベレスト登頂10回の経験を持つベテランのシェルパ、Chhiringさんが率いる最強のチームで行き届いたお世話をいただきました。
ことに不慣れな私のために、重いカメラザックをずっと背負ってくれ、山道でよろける私の手を引いてくれた17歳のシェルパの少年、セル・セパに心からの感謝をささげます。
皆さん、本当にありがとうございました。
ご報告を楽しみにしています。
素晴らしいエベレスト風景!
かつてはよく登頂記などを読んだものです。
上空からの風景は一層素晴らしいですね!感動です!!
ゆっくり休まれて続きを拝見させてくださいね。
お待ちしておりました。ネネムさんのお名前の由来
の伝説ですね。今欧州からの飛行機が飛ばなくて
大騒ぎしていますね。騒ぎに巻き込まれずによかった。
ネパールのことたくさん聞かせてください。
一度は行きたい、歩きたい・・・見るだけでもイイ、見続けていたい!!
壮大なプレートの動き・原初の光景、いろいろ想像させてくれますね!
オオッ、あそこにアンモナイトの化石が!ナンチャッテ。
グローバル化・効率化・非正規雇用・自己責任・・・ギスギスした社会から解脱して、こんな所を仙人のように飛び回ってみたいものです。
ブドリも旅の枕にでてたのでしょうか?
報告、楽しみです。
青い空青い山青い雪青い雲。目の回るような遠い記憶の底にある風景が夢のようです。どこまでも賢治に導かれての旅が続いていきますね
しばらくの留守の間の寂しさもあちらこちらの災難をくぐりぬけての無事帰国の報告で安堵しました~ともあれじっくりとお話を聞きたいです。まずは骨休みをされてから~
カメラをひどく重く感じました。
クラレは難しいですね。
雨季(花の季節です)に、チベットサイドから歩いてさがせば、これだという光景に出会えたかもしれませんが…。
2時間待たされても、見られてよかったという光景です!!
20人くらいしか乗れない飛行機で、一時間弱の滞空時間でした。
知人は山より、きれいなスチュワーデスに見とれていました(^^♪
これらの巨大な岸壁が、5,6億年前には海だったなんてねえ。
しかし、さがす体力も尽き果てて。
アンモナイトは、ナンモナイト!でしたよ。
(^^♪
風景も人情も!
TVでは観たことがありますが、自分の眼で観られると
感動ひときわでしょうね。
拡大できる写真を掲載され、楽しまさせて頂きました。
ありがとうございます。
ありがとうございます。トレッキング中は撮影しにくくて、なかなかいい写真にはなりませんでした。
コンデジの方が便利だと痛感しました。
でも、無事帰れて、今ほっとしています(*^_^*)