コスモスとコスモス
2011年 10月 05日
コスモスといえば、思い出すのは、
高村光太郎が宮沢賢治を「コスモスの所持者」と呼んだことである。
賢治はまだ現在ほど有名ではなかったが、賢治文学の本質を的確に表現している言葉として、
のちのちも、多くの人によって度々引用されるようになった有名な賢治論です。
「うちにコスモスを持つ者は世界の何処の邊遠にいても常に一地方的存在から脱する。(略)
彼の謂う所のイーハトーヴは即ち彼の内の一宇宙を通しての此の世界全般のことであった。」(高村光太郎・昭和33.11、12)
別に宮沢賢治がコスモスを栽培していたわけではないのですが…。
しかし、
光太郎の言う「コスモス」は英語cosmosからの外来語で、cosmosはギリシャ語の「秩序」「調和」を意味するkosmosに由来する。
コスモスは秩序だって統一している」ところから「世界」「宇宙」も意味するようになる。
秩序正しく調和のとれたものは美しいところから「美麗」「装飾」の意味にも使われるようになり、
花びらが整然と並ぶ植物のこの花も、cosmostoと呼ぶようになったということです。
これ、嘘のようなホントの話。「語源由来辞典」より
賢治作品では、コスモスの花は、「連れて行かれたダアリヤ」という童話の下書、というか、
断片的メモの中にちょと登場するだけで、すぐに削除されてしまう訳ですが、
まあ、コスモスと賢治、ご縁があるとも言える訳です。えへへ…。ややこじつけですが。
千葉県印西市の郊外にコスモスを訪ねた。
台風ですっかり倒れたあとだったけれど、健気に起き上がって、咲いている花もあった。
なるほど、賢治の内には大きな宇宙があったように
思えてきました。その宇宙からイーハトーヴの世界
も生まれたのですね、きっと。
私の畑でもコスモスが少し咲きます、この時期の
彩りを与えてくれて良いものですね。
私も、内なるコスモスを作って行きたいものだと
思いました。
内なるコスモスをもって生きる! 素敵なことですよね。
あなたも、わたくしも、そうありたいですね(#^.^#)
畑の彩りとしても、心なごみますね。
なに色ですか?
「コスモス」、色違いに 模様入り 沢山の種類がありそう・・・
それぞれに美しき宇宙なのでしょう それこそ神秘
花びらを一枚おきに抜き取って作る、ハナコプター::造語で(^^ゞ
クルクルクル~ 童の想いが回ります。
nenemuさんの写真・並び説明は勉強になります。
又 ブログに寄せられるコメントも面白いので読ませて頂いてます。
ハナコプター そう云えば、そんな遊びしました。
コスモスにも色々の花模様があり綺麗ですネ。
心身の中に 私のコスモスを 築きたいものです。
最近変わったコスモスを見れなかったが、やっとここで見る事が出来ました。
3番も良いですね~、私もこれを撮りたかったが…(泣き)
ここの畑は綺麗なコスモスがあるんですね。
綺麗なコスモスを見せて頂きありがとうございました。
コスモスを見ると何故かホッとさせられるのはなんでしょうね。
シンプルでいて完成された美しさなんだけど、
茎がたおやかで柔軟性があるから優しを感じるからでしょうか・・・
コスモスはススキや萩と一緒に生けても素敵、
単独で生けても勿論素敵!
やっぱり、存在感のある女性じゃなくて、お花ですね。(^-^)
どのお写真も素敵ですけど、どれも女性の姿に見えてしまいます。
私は、一番上のしょぼくれてきたコスモスかも・・・(笑)
なんて考えて、そうか、と思いました。
人間以外は、自然という立派な秩序の中で暮らしているのですよね。
そして人間はその秩序をうまく操ろうと奮闘している…
コスモスを持った人は、その辺もよく知っていたのかもしれませんね。
コスモスの花、きれいです。
「内にコスモスを持つ者」と、賢治を評したことは有名ですね。
賢治研究家、賢治ファンならだれでも知っているかな
しかし、植物のコスモスといわゆる「コスモス」とつながりがあったとは、
賢治研究家でも、知らなかっただろうなあ。
まあ、nenemuさんはすごいですね。
たしかに、ややこじつけにもきこえますがねえ。
#1のコスモスは品種改良された品種でしょうね。
最近はチョコレート色のコスモスなど、さまざまなコスモスがありますね。
ふしぎな感じもしますが、面白いとも思います。
ハナコプター、ほんとうに楽しいですね(^_-)-☆
コスモスは群落がみごとですが、今年はあちこちで台風の影響を受けたようですね。
あっ、いつか、一度、昭和記念公園のコスモスを見たいものです。
ご覧になったことありますか?
私も#3が一番気にいっています。
でも、コスモスは撮影は難しい花ですね。形が平板で陰影がないのですもの。
だから、群落にして楽しむのかな…。
あれ、いい作品が撮れないと花のせいにしています。。。
コスモスは私には、なにか保守的な印象があります。
たおやかに見えても、起き上がる強靭さもあります。
自然という秩序も今回の震災のように想定外のこともありますね。
自然を操ろうとする人類への警告のようにも感じます。
内にコスモスを持つということは、地方人であってもインターナショナルな本質を
持っているということでもあるのかな。
今になって、世界中で宮沢賢治が翻訳され、読まれているのも、
そういうことに繋がると思えるのです
つい、賢治につなげてみました。
というより、何を見ても、宮沢賢治を連想させる要素が必ずあるものですから。
ま、笑って読んでやってください。(^_-)-☆
ご無沙汰しておりました。
家族が入院したりしていたので、しばらくネットオフの生活でしたが、少しづつ復帰したいと思っています。
でもカメラがまだ入院中なので更新は・・・・><
すっかり秋になりましたね。
台風の後、コスモスもヒガンバナもかなり倒れたと聞いています。
倒れた後もそこからまた上に向かって伸びる、可憐な花とは裏腹に逞しいコスモスですよね~^^
コスモス(秋桜)は、コスモスに由来するというわけですね。
さすが、nenemuさんですね。
童話の下書に登場するとは、賢治の時代にも花壇の花として普及していたのでしょうか。
でも、こんなにたくさんの種類はなかったでしょうね。
どの花もきれいです。
でも、後ろ姿がいいですね。
お大事になさってね。
ネットオフの生活も、たまにはいいけれど、続くとさびしいでしょう(^_-)-☆
更新を楽しみにしていますが、どうぞ、ご無理されませんように。
コスモスは明治期に渡来したようですが、今のように種類はたくさんなかったでしょうね。
後姿、夕陽だとなおよかったのですが…(^_-)-☆
根性が足りませんで、早めに撮影終了しました。