8ヶ月経っても…。
2011年 12月 09日
鳥はみな飛ばずにゐられないで飛び
啼かずにゐられないで啼く(略)
人が何としてもさうしなでゐられないことは
一体どういふ事だらう。
学者アラムハラドの見た着物
大震災から8ヶ月あまりすぎても、被災地はガレキの山が目立ちました。
壊れたビルの鉄骨は錆びつき、そこにスズメが群がっていました。
こんな情景の中に立てば、言葉がありません。
カメラを取り出すのもためらわれましたが。
宮沢賢治だったら、どうするだろうかと考えながら、歩きました。
多くのメディアで、見た光景ではありますが、
外から眺めるのと、その場所に立つこととは全く違うものでした。
漁港へ行ってみると、近寄れない状態でした。
道路だけは車が走れるようになっていました。
そこに立ったからといって、何ができるわけでもなく、情報は既に多くを受けているわけですが、
どうしても果たしたいと思っていたので、辛かったのですが、自分自身に向き合うことが出来ました。
気仙沼にも立ち寄るつもりでしたが、かなり遅い時間になってしまい、
夜訪れるのは気が進まなかったので、東北自動車道に戻りました。
やはりテレビやネットの画面で見る情報と自分が
現地で見て聞いて触る情報の間には天と地の差が
あると思います。
私も阪神淡路大震災の時には現地に行きその被害の
大きさを目に焼き付けました。
陸前高田は8ヶ月も経っているのにまだ復興にはほど遠い状態ですね。
1年後、2年後にはこうなるといったものがあれば
いいんでしょうが先が見えてこないのが辛いですね。
ぜひ拙宅にいらして頂きたかったです。
きっとそうしていただくと
賢治の後輩である岩手大学出身の妻も喜んだことでしょう。
残念です。
高田は 当気仙沼市よりも片付いています。
高田から来ている職場の同僚は
気仙沼は遅いと言っています。
雀や鳶の姿に胸にこたえるものがあります。やはりnenemuさんならではの視点ですね。
東北 現地の惨状がまだ色濃く残っている風景に
津波が押し寄せるシーンが目に浮かび心が傷みます。
新宿 花園神社の宮司さんが、
「多くの日本人は、悪い事は忘れようと忘年会をする」と皮肉交じりに
述べてましたが、当事者でない人々は、忘れたい気持ちが強いでしょう。
コンクリートガレキにスズメがとまり、その先に壊れたビルがそのままになっている姿に
nenemuさんの心情が入っているように思えました。
壊れたマネキンの頭部、汚れた衣類、赤いスリッパ
現地は、まだ何にも進んでいないところに、これから厳しい冬を迎えますね。
声が出せない想いです。
いろいろな事がめぐり、この現状をどうすることもできない日本なのです。
この荒れたままの地にも、スズメがいるのですね。。。
当たり前のことが・・・驚きのことでした。