イロハモミジ
2013年 04月 06日
とまりませんな
がぶがぶ湧いてゐるですからな
ゆふべからねむらず血も出つづけなもんですから
そこらは青くしんしんとして
どうも間もなく死にさうです
けれどもなんといゝ風でせう
もう清明が近いので
あんなに青ぞらからもりあがって湧くやうに
きれいな風が来るですな
もみぢの嫩芽(わかめ)と毛のやうな花に
秋草のやうな波をたて
焼痕のあるむしろも青いです
あなたは医学会のお帰りか何かは知りませんが
黒いフロックコートを召して
こんなに本気にいろいろ手あてもしていただけば
これで死んでもまづ文句もありません
血がでてゐるにもかかはらず
こんなにのんきで苦しくないのは
魂魄なかばからだをはなれたのですかな
ただどうも血のために
それをいえないがひどいです
あなたの方からみたらずゐぶんさんたんたるけしきでせうが
わたくしから見えるのは
やっぱりきれいな青ぞらと
すきとほった風ばかりです。
詩「眼にて云ふ」
「疾中」詩篇の一つ。
血が出つづけているので言葉が発せない。だから眼で云うというのである。
瀕死の状況の中で、青ぞらときれいな風を感じ、
もみぢの嫩芽(わかめ)と毛のやうな花が秋草のようにゆれている情景をイメージしている。
清明は二十四節気の一つ。太陽の黄経が15度の時。春分後15日目、すなわち3月の節。
太陽暦の4月4日ごろにあたる。
偶然、清明どき、4月4日にイロハモミジの嫩芽(わかめ)と花を撮影した。
嫩は最近は使われない漢字だが、若くてやわらかいの意。嫩(ふたば)と読むこともある。
昭和4年春の作品。賢治は前年の夏、嵐の中を農村指導に奔走して病に倒れたという。いったんは小康を得るが、
12月には再び高熱に冒され、急性肺炎の診断まで受け、重篤な症状が続いた様子である。
夏には快方に向った。
「疾中」詩篇はこの時期の作品。
このときの医師は共立病院の佐藤隆房院長ではなく、主治医の佐藤長松博士であろうと言うのが小沢俊郎氏の見解である。
こうして見ると、もみぢの嫩芽、嫩葉、花とは、なんと生命力にあふれていることだろう。
花はアップしてみると美しいとはいえないが…。
小さくて華やかさもあまりありませんが、たくさんの花を枝いっぱいに咲かせている姿にいのちの一生懸命さを感じました。
もしかしたら、賢治さんも病床からそんな風に感じていたのかな・・・と想像しました^^
若葉と共に咲く花は、春を感じさせてくれます。
でもこの詩を読んで苦しみを和らげる力ってあるのかも・・・って思ってしまいました。
自分が患ったとき、この詩はきっと励みになるでしょう。