めくらぶどう→ノブドウ
2014年 10月 28日
畑のすみから一寸顔を出した野鼠はび っくりしたやうに又急いで穴の中へひっこむ。
崖やほりには、まばゆい銀のすすきの穂が、いちめん風に波立っ てゐる。
その城あとのまん中の、小さな四っ角山の上に、めくらぶだうの やぶがあって
その実がすっかり熟してゐる。
ひとりの少女が楽譜をもってためいきしながら藪のそばの草にすはる。
かすかなかすかな日照り雨が降って、草はきらきら光り、向ふの 山は暗くなる。
そのありなしの日照りの雨が霽れたので、草はあらたにきらきら 光り、向ふの山は明るくなって、
少女はまぶしくおもてを伏せる。
そっちの方から、もずが、まるで音譜をばらばらにしてふりまい たやうに飛んで来て、みんな一度に、
銀のすゝきの穂にとまる。
めくらぶだうの藪からはきれいな雫がぽたぽた落ちる。
かすかなけはひが藪のかげからのぼってくる。今夜市庁のホール でうたふマリブロン女史が
ライラックいろのもすそをひいてみんな をのがれて来たのである。
いま そのうしろ 東の灰色の山脈の上を、つめたい風がふっと 通って、大きな虹が、明るい夢の橋の
やうにやさしく空にあらはれる。
さうだ。今日こそ、たゞの一言でも天の才ありうるはしく尊敬さ れるこの人とことばをかはしたい、
丘の小さなぶだうの木が、よぞ らに燃えるほのほより、もっとあかるく、もっとかなしいおもひを ば、
はるかの美しい虹に捧げると、ただこれだけを伝へたい、それ からならば、それからならば、あの……〔以下数行分空白〕
童話「マリブロンと少女」
「マリブロンと少女」は「めくらぶどうと虹」の草稿のうえに大幅に手を入れて改稿しようとした作品である。
戯曲にでもしたかったのか、文体が堅くて、どうもなじまない気がするのは私だけだろうか。
この秋はあちこちでめくらぶどうに出会うが、被写体として形や色がいいものは少ない。
めくらぶどうはノブドウの方言。差別用語だというので、「めくらぶどうと虹」は教材で
取り上げることが少なくなった。
言葉というのは時代の風の中で、ニュアンスが変わってくる。
めくらぶどう← ノブドウ(ブドウ科ノブドウ属) Ampelopsis glandulosa var. heterophylla 野葡萄
実がデコボコでカラフルなのはブドウタマバエやブドウトガリバチが寄生して虫えい(虫こぶ)をつくるためである。
もちろん食用には適さない。
宮沢賢治は実の彩の美しさに魅かれていたようで、虫えいに関しては言及していない。
家の近くでは見掛けなくなりました。
秋山郷でも今回は見掛けませんでした。
子供のころはあちこちで見た気がしますが、いまはなかなか目にしません。
この色合いが大好きです^^
クラゲ、素敵に写されましたね~!
私もエノスイでisoアゲアゲで写したのを思い出します^^
ノブドウは宝石のようで秋に野山で見る
のが楽しみです。
虫えいもいろいろありますが、こんなに綺麗な
ものは他にあまり見たことがありません。
宮沢賢治も魅了されただけのことはありますね!
でも、毎年とってもこのめくらぶどうは気に入った作品にはならないので、
もう、意地で撮っています。(ー_ー)!!
エノスイって何かと思ったら、江の島水族館のことなのね。
作品だけでなく、心も若いですねえ(^_-)
このノブドウの美しさは宮沢賢治に教えてもらった気がします。
彼の童話がなかったら、気づかずにいたかもしれません(^_^メ)
宮沢賢治を読むことで、日々の発見が楽しいものになります。
でも、いい写真を撮ろうと欲張ると、為し得ず、ツライ気持ちになることもあります。
やっぱり食べ頃は、濃い紫色になってからですかね(?_?)