オオタカ←鷹
2007年 09月 18日
もしあさっての朝までにお前がさうしなかったら、もうすぐ、つかみ殺すぞ。
つかみ殺してしまふから、さう思へ。
おれはあさっての朝早く、鳥のうちを一軒づつまはって、お前が来たかどうかを聞いてあるく。
一軒でも来なかったといふ家があったら、もう貴様もその時がおしまひだぞ。」
童話「よだかの星」
オオタカ(ワシタカ科)
北海道から本州で繁殖し、冬は低山から平地の林、湖沼、川原等にも現れる。
ハシブトガラスくらいの大きさで、翼は短めで尾は長い。早い羽ばたきと滑翔を交互に行い、直線的に飛ぶ。
ワシタカ科の大型のものをワシといい、中型以下をタカとよぶが、その区別は厳密ではない。翼の先が尖っているハヤブサ科の鳥も一般にはタカに含まれる。
賢治文学に登場するのは、タカ、ワシ、ハヤブサで、この童話で、よだかを追い詰めてゆく鷹は、オオタカと明確に書かれているわけではない。
すばらしい画像に出会ったので、オオタカをイメージしてみた。
「よだかの星」は、文字で読むと、よだかに同情せずに居られないが、こうしてみると、鷹の言い分も妙に説得力を持って迫ってくるのが不思議である。
鷹狩につかったのはオオタカですか?
平安時代の辞書「和名抄」には、大鷹とは三歳の雌の鷹とあるようなのです。(一歳の鷹は黄鷹(わかたか)、二歳は撫鷹(かたかえり)、三歳の雄は兄鷹(せう)、同歳の雌は大鷹)。オオタカにしても、ハイタカにしても鷹狩りに使われたのはオスよりも大きいメスのようで、そういうわけで大鷹というとメスの成鳥をさすようです。
ついでにメモとして書いておくと、鷹狩りのことについては日本書紀の仁徳紀四十三年の条に書かれていますが、注目したいのは古事記に登場する山辺大鷹の存在です(垂仁天皇の条)。これは白鳥をとらえるために派遣された人の名前ですが、ここにすでに、鷹狩りの実態が反映されていると考えてよいと思います。ちなみに、東北を中心に散在する白鳥神社の祭神・白鳥大明神は、白鳥(くぐい)の方ではなく白鷹であることがあります。
なお、古事記の「山辺大鷹(やまべのおおたか)」の「たか」の字は、「帝」の横に「鳥」を書く字体です。
援軍あってのイーハトーブ・ガーデンです。(*^_^*)
「和名抄」のような古い文献は、手元にありませんが、「盛岡藩雑書」という盛岡藩のご家老日誌(1644~1840年)を遠藤公男さんが解読、解説した「盛岡藩御狩り日記」(講談社)が出てきました。
これを読むと、江戸時代の東北の鷹狩の様子が実に詳しく記述されています。おもしろいです。
かぐら川さんのおっしゃるとおりですが、日本で鷹狩につかわれたのはオオタカ、ハイタカ、ツミ、ハヤブサだそうで、どこの殿様も好んだのはオオタカだそうです。
ワシタカ類はすべて雌の方が大きいので、オオタカの雌を「だい」と呼び、弟鷹と書いたそうです。雄は「しょう」と呼んで「兄鷹」と書いているとか。その年生まれの若いオオタカを「黄鷹」(全身黄色っぽい褐色の班が残っているので)と、よんでいたとか……。
かぐら川さんの解説と同様のことが書かれています。
鷹狩の獲物には、もちろん、ヨタカは含まれて居ませんが。
オオタカにまつわる色んな事が良く分かって面白いですね~♪
勉強になりました。
この秋、又あの子に会えるといいなと思っていますが、
この春、繁殖に失敗したらしく巣は放棄されました。
どうなりますやら・・・。
オスは大変なんです・・・。
枝を集めてせっせと巣を作ってメスに見てもらって・・・、
ノーとなると又やり直しか、別の場所で又巣作り・・・。
餌を獲ってメスへお土産で運んで、気に入らないと食べてもらえないんです・・・。
涙ぐましい努力なんですよ。
大自然の摂理は厳しい・・・。そうやって強いものだけを選別して種の保存を
して行くんですよね・・・。
やっぱり、ワシタカ類はカッコイイので、誰もが憧れの鳥ですね。
それにしても、まあ、雄はたいへんなのですね。
いつの時代でも。どこの世界でも。
人間世界だけでしょうか。
この頃、男性は繊細になって、傷つきやすくなってしまいました(*^_^*)
「盛岡藩御狩り日記」によれば、ご家老日誌で一番多いのは馬に関する記事で、2番目が鷹に関する記事だそうです。
鷹はともかく、馬はかなり最近まで身近な動物だったのではありませんか?