大豆←豆

(略)
嘉ッコは林にはひりました。松の木や楢の木が、つんつんと光のそらに立ってゐます。
林を通り抜けると、そこが嘉ッコの家の豆畑でした。
豆ばたけは、今はもう、茶色の豆の木でぎっしりです。
豆はみな厚い茶色の外套を着て、百列にも二百列にもなって、サッサッと歩いてゐる兵隊のやうです。
お日さまはそらのうすぐもにはひり、向ふの方のすゝきの野原がうすく光ってゐます。(略)
                                             童話「十月の末」

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ダイズ(マメ科ダイズ属)大豆
マメ科の1年草。農作物として世界中で広く栽培されている。豆といえば、大豆、小豆、ソラマメ、エンドウマメなどの総称だが、大豆の代名詞として使われることが多い。
大豆は土質を選ばず育ちもよく、さらに根に空中の窒素を吸収固定させる働きがあるため土質改良の目的で栽培されることも多い。実は「畑の肉」といわれてたんぱく質に富み、豆腐、味噌、しょうゆ、納豆などに加工され、また食用油、燈油、石鹸などの原料にもなる。
大豆とは大きな豆ではなく、大いなる豆だと言うのもうなずける。
賢治作品でも豆として登場する多くはこの大豆のことである。

童話」「十月の末」は、草稿表紙に村童スケッチという書き込みがある通り、農村の子どもを描いた童話である。時代の背景も感じられて興味深い。
この茶褐色に熟した豆のさやは、なるほど外套のようだ。
この畑は収穫期をだいぶ過ぎてしまったせいか、兵隊の行進としては、規律が混乱しているようだ。

安曇野の11月で、目に留まった光景である。
平成の時代、村童はどこへ行ったのか?
Commented by マルメロ at 2007-12-08 21:41 x
イーハトーブ県の北の端っこで味噌醤油製造販売を営んでいた母方の里でもちょうど賢治が書いたこの時期の豆がこの味噌工場にも収められていたかもしれない。祖父が一代で作り上げたレンガ積みのボイラーやベルトコンベヤー設備はどこよりも先に出来ていたものだと聞いている。幼いころ母の里に遊びに行くとこの工場には五右衛門風呂のような大きな釜から次々と取り出された湯気の立っている大豆が藁筵に見上げるような大きな円錐形に山盛りされそのむせるような匂いにいつも逃げ出していたことを思い出します。無尽蔵にあるかとおもわれた麻袋の豆もみなこのような豆畑からきたとはついぞ気がつかないでいましたね。
Commented by nenemu8921 at 2007-12-08 22:50
マルメロさん。
味噌しょうゆ製造販売ですか?
商品化していたのですね。最先端ですね。
普通の農家ではほとんど自家製造だったでしょう。

当時は豆畑はたくさんあったのでしょうね。賢治の詩には目立たないままでよく出てきます。

最近のイーハトーブではあまり見かけないような気がします。

最近はイーハトーブの枝豆がおいしいなと賢治際の頃、いつも感激しています。
Commented by erhu at 2007-12-09 20:40 x
こんばんわ。
信州ですか? こんな風景が見られるのですね。
なるほど、最近は村の子どもも町の子どもも見た目は変わらないですね。
その土地の固有の文化って見えなくなりましたね。
Commented by nenemu8921 at 2007-12-10 09:54
erhuさん。村の子供も町の子供もぐんと数が減りました。
花巻へ行くと、登下校時間帯以外では、町で子供の姿を見かけることは実にまれです。
地方都市はどこも同じかしら。

by nenemu8921 | 2007-12-08 10:39 | 植物 | Comments(4)

宮沢賢治の愛した鳥や植物


by nenemu8921