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        願教寺と言えば、島地大等であり、
              島地大等といえば、赤い経巻、
                   つまり漢和対照妙法蓮華経である。

(略)
保阪さん 私は愚かな鈍いものです。求めて疑って何物をも得ません。遂にけれども一切を得ます。
我これ一切なるが故に悟ったような事を云ふのではありません、南無妙法蓮華経と一度叫ぶときには世界と我と共に不可思議の光に包まれるのです。
あゝその光はどんな光か私は知りません。只斯のごとくに唱へて輝く光です
南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経 どうかどうか保阪さん すぐに唱へて下さいとは願へないかも知れません
 先づあの赤い経巻は一切j衆生の帰趣である事を幾分なりとも御信じ下され 本気に一品でも御読み下さい そして今に私にも教えて下さい。
                     書簡50 (保阪嘉内あて書簡 大正7年3月20日前後)
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これはもちろん本物ではなくて、国書刊行会からの復刻版である。

宮沢賢治が法華入信の機縁となったのはこの経巻に出会った故と伝えられている。
父の法友高橋勘太郎から宮沢家に贈られたもの。
島地大等編で、表紙は金箔で押したサンスクリット文字とイラストのおしゃれなデザインである。

(略)
流転の中にはみぢめな私の姿をも見ます。本統はみぢめではない。
食を求めて差し出す乞食の手も実に不可思議の妙用であります。
食を求めることはいやしいことか。
宇宙みな食を求むるときは之はいやしい尊いを越えたことであります。
おっかさんを失って悄然と試験を受けるあなたにこの様なことを云ってすみません。
保坂さん。諸共に深心に至心に立ち上り、敬心を以て歓喜を以てかの赤い経巻を手にとり静かにその方便品、寿量品を読み奉らうではありませんか
南無妙法蓮華経
南無妙法蓮華経                      
                        書簡76 (保阪嘉内あて書簡 大正7年6月27日)
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寿量品とは、法華経の真髄が語られているといわれる如来寿量品第十六のこと。

書簡50は、保阪嘉内が退学になった時、帰郷した保阪あてのもの。
前半部分は賢治自身の方が途方にくれ、おろおろているような印象である。
書簡76はその後母親を亡くした失意の保阪へ宛てたもの。

宮沢賢治にとっては支えであったこの赤い経巻は、保阪嘉内には機能しなかったのでしょうか。
by nenemu8921 | 2009-12-29 23:13 | その他 | Comments(8)

願教寺

本堂の
高座に島地大等の
ひとみに映る
黄なる薄明      
              歌稿(B)255a256

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願教寺
盛岡市北山にある浄土真宗本願寺派の寺院。親鸞上人の二十四輩の一人である是信房の末裔・浄信房によって慶安年間(1648~51)に盛岡市浅岸に建立され、寛文11年(1671)に藩主南部重信公により賜った現在地へ移転して堂宇を建立。盛岡城下で活動する近江商人を中心にして多くの商人、御用職人等の信望を集めた。
明治25年、本願寺教団の宗務を取り仕切っていた島地黙雷(1838~1911)が東北開発総監として盛岡へ来住し25世住職となり、寺院の復興と布教活動に務めた。
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明治35年、姫宮大等を女婿に迎え法嗣とした。
大等は明治41年から毎年8月に夏期仏教講習会を開催し、数百名の聴講者を集めたという。
又10月には報恩講を開いた。

短歌は宮沢賢治が盛岡高等農林学校1年生のときのもの。宮沢賢治も夏期講習会や法恩講に参加して島地大等の法話を聞いたと思われる。

あいかわらずの在庫画像で失礼します。前回の地蔵様と同様、2008年、3月の撮影です。
境内には島地大等の碑も、宮沢賢治のこの短歌の碑もありました。
by nenemu8921 | 2009-12-25 12:40 | 場所 | Comments(4)

田中の地蔵さん

賢さんと初めて会ったのは大正4年4月盛岡高等農林学校の寄宿舎南寮1号室であった。
1室の定員は6名、内新入生は各科から1名宛で4名。
賢さんと私とは机を並べ、寝場所も隣り合っていた。
 賢さんは、盛岡中学出なので、入寮の最初の土曜日の午後自ら市内案内の役を買って出た。
第一に案内してくれたのは、田中の地蔵さんで、石川啄木の詩まで引用。次は高松の池、不来方城址、天神山等であった。
(略)
                               高橋秀松「賢さんの思い出(一)」

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この田中の地蔵は盛岡市四ツ家の公民館に隣接してある。
立派なお地蔵様だったが、狭い敷地でたいそう窮屈そうであった。
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石川啄木の詩まで引用とあるから、啄木にはこのお地蔵さんを歌った詩があるのだろうか?
どんな詩(短歌か?)なのか、どなたか、ご存知の方がいらしたら、ご紹介下さい。

高橋秀松は盛岡高等農林時代の友人である。

More  田中のお地蔵さんとは
by nenemu8921 | 2009-12-24 00:35 | 場所 | Comments(6)

公会堂の周辺

岩手県公会堂は岩手公園(盛岡城址公園)に隣接しています。
岩手公園は、宮沢賢治が学生時代、よく散策したところです。
公会堂の前の通りには栃の大木が並んでいます。
昨年の夏、訪れたとき、たくさんのトチの実がなっていました。

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トチの実といえば、「鹿踊りのはじまり」のとちだんごを思い出しますね。

こちらに とちだんご、トチの花の紹介があります。
いまごろはこのあたりも雪が積もっているかな。


          撮影に出かけられない状態が続いているので、
          在庫の画像から話題を見つけて更新しています。
             季節外れの景色ですが、ご容赦下さい。
 
             ちょっとドジをして左足の小指を骨折して、
                   靴が履けないのです。(涙)

                   車には乗れますし、
                 たいしたことはありませんが、
                        不自由です。

More じゃじゃ麺をご存知ですか
by nenemu8921 | 2009-12-19 11:06 | 場所 | Comments(13)

盛岡に建つ公会堂

風の向ふでぼりぼり音をたてるのは
並樹の松から薪をとってゐるとこらしい
いまやめたのは向こうもこっちのけはいをきいてゐるのだらう
行き過ぎるうちわざと呆けて立ってゐる
弟は頬も円くてまるでこどもだ
いかにもぼんやりおれを見る
いきなり兄貴が竿をかまへて上を見る
鳥でもねらふ身構えだ
竿の先には小さな鎌がついてゐる
そらは寒いし
山はにょきにょき
この街道の巨きな松も
盛岡に建つ公会堂の経費のたしに
請負どもがぢき伐るからな
                      詩 「国道」

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岩手県公会堂  岩手県盛岡市内丸11番2号
昭和天皇のご成婚を記念して大正13年に建設が決定し、県会議議事堂を包有した形で昭和2年6月15日に完成した。(2008年8月の画像です)
    
        国道の並樹の松を薪のたしにしようとしているのか、
         伐っているけしからん兄弟に出会ったのである。
            弟はまだ子どもといえるほど幼いし、
              兄貴の方もとぼけて、
                鎌を取り付けた竿を構えて
             鳥をとるポーズなどしてみせる。
                       寒々した冬空である。
                       山(岩頸列)も頸をすくめているのか。
            (詩人は不愉快である)
                盛岡で公会堂が建設されることが
                    決まったから、
                   この松の樹も
                 その経費に当てるため、
                  近々伐採されることだろう。


新校本宮沢賢治全集の年譜には大正14年4月25日の項目に次のような記述がある。
県が盛岡市に公会堂を建設するために、国道4号線の松並木を伐採し、その売却金を持って資金にあてるという発表があり、賛否両論を呼んでいた。この問題をとりあげ、美観を失うと反対する立場(賢治指導)と、財政乏しい県としてはやむをえないとする立場(白藤慈秀指導)により、生徒を1組10人に分けて講堂で討論会を行う。互いに指導よろしく烈しく論陣を張ってゆずらず、終りに校長は聴衆の生徒たちに対し、すべて物の見方には二つの立場がある、即ち理想と現実であると講評。

この公会堂は昨年平成20年に80周年を迎え、記念事業が催され、全面保全が決定。
平成18年には、国の登録有形文化財として登録されている。
記念誌を戴いた。
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中を見ると、公会堂の過去のイベントポスターのなかに「グスコーブドリの伝記」(昭和44年・東京アンサンブル公演)や、「銀河鉄道の恋人たち」(昭和47年・劇団民芸)などがあって興味深い。
 (低画像で恐縮です)
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               宮沢賢治も自分の作品がこの公会堂で
                  演劇公演されているのを天上から見て、
                        どんな想いだったろうか。
by nenemu8921 | 2009-12-16 22:16 | 場所 | Comments(12)

地蔵堂

(略)
地蔵堂のこっちに続き
さくらもしだれの柳も匝(めぐ)る
風にひなびた天台寺(でら)は
悧発で純な三年生の寛の家
寛がいまより小さなとき
鉛いろした障子だの
鐘のかたちの飾り窓
そこらあたりで遊んでゐて
あの青ぐろい巨きなものを
はっきり樹だとおもったろうか
    ……樹は中ぞらの巻雲を
       二本ならんで航行する……
(略)

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地蔵堂はいま…
2007年の夏、訪れたとき、地蔵堂は真新しくなり、境内に残っていた巨杉も切り倒されていた。
画面左側の青いシートをかぶせられもの、それが巨杉の切り株の一つだった。
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↑こうしてみれば、巨杉の大きさがよく分かりますね。
↓がらんとして、明るくなった境内には横たえられた切り株もあった。
巨杉が5本あったのは、賢治の時代。1990年代に訪れた時は2本残されていた。                
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その2本も…。なんだかひどくがっかりしてしまった。

    ……樹は天頂の巻雲を
       悠々として通行する……
いまやまさしく地蔵堂の正面なので
二本の幹の間には
きうくつさうな九級ばかりの石段と
褪せた鳥居がきちんと嵌まり
樹にはいっぱい雀の声
(略)
                   詩「地蔵堂の五本の巨杉が」
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↑「9級ばかりの石段」をはさんだ2本の巨杉は、だいぶ前からこのような切り株になっていた。(画像では、陰になって石段が9段あるのが分かりにくい)

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しかし、いかに巨大きな杉だったか…

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1996年に建立された詩碑である。その頃は境内がうっそうとして暗くて目立たなかった。

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石段を登ったところには、こんな詩看板が立てられていた。

この地蔵堂は、高速で南花巻を下りて、イーハトーブセンターへ向かう途中にあるので、度々立ち寄り、看板の前で独り、声に出してこの詩を読んだりしたのだったが…。
最近ではどうなっているのだろう?
by nenemu8921 | 2009-12-12 01:12 | 場所 | Comments(10)

地蔵堂の五本の巨杉(すぎ)が
まばゆい春の空気の海に
もくもくもくもく盛りあがるのは
古い怪(け)性の青唐獅子の一族が
ここで誰かの呪文を食って
仏性守護を命ぜられたといふかたち
    ……地獄のまっ黒けの花椰菜め!
       そらをひっかく鉄の箒め!……
(略)
                  詩〔地蔵堂の五本の巨杉が〕


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スギ(スギ科スギ属)杉
日本特産の常緑針葉樹。大きいものは高さ65mに達する。有用樹種として最も多く植林されている。

賢治作品に杉はしばしば登場する。日常の周辺にも数多くあった故であろう。

      スギもこんな風に見上げれば、
            たしかに黒い花椰菜(カリフラワー)
                  のように見えます。
               いやブロッコリーかな。
               でも、ほんとうに鉄の箒のようです。
by nenemu8921 | 2009-12-10 23:38 | 植物 | Comments(12)

白樺

黄葉落ちて象牙細工の白樺はまひるの月をいただけるかな
                                歌稿A 417


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シラカバ(カバノキ科カバノキ属)白樺。シラカンバとも。
中部地方以北の低山帯の向陽地に生え、高さ20mになる落葉高木。

     大正5年秋の短歌。賢治20歳。盛岡高等農林学校2年生。
   保阪嘉内らと「人間のもだえ」を上演したり、
     高橋秀松と丹藤川上流まで探訪した頃である。
        夏の終りには上京してドイツ語講習を受け、
         9月には関豊太郎教授率いる秩父地質調査見学に
                           上野で合流して参加している。
               詩作や童話の創作は始まっていないが、
            この頃の体験はのちに作品のモチーフとして
          さまざまに登場している。
     
          
        象牙細工の白樺とは樹皮をはがれた樹木の質感か。
                 白樺はお気に入りの樹木の一つ。
           詩「樺太鉄道」では聖白樺と書き、
               セントベチュラアルバと白樺の学名に称号を冠したルビをふっている。
   
      画像は10月に函館大沼湖畔での撮影。

More ダケカンバとは…
by nenemu8921 | 2009-12-09 09:29 | 植物 | Comments(12)

秋の粉

(略)
これはすきとほったするどい秋の粉でございます。
数しれぬ玻璃の微塵のやうでございます。
(略)
                   童話「四又の百合」


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童話「四又の百合(よまたのゆり)」は、夏の終り、秋の気配が感じられる頃が作品内の時間である。
けれども、賢治の表現は一文章それぞれが力をもっていて、独立してイメージを喚起させる。
晩秋の情景もまた似合う。

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首都圏では紅葉狩り、たけなわである。逆光にかがやくイロハモミジの美しさはたとえようがない。
けれども賢治の表現の中にはほとんど紅葉讃歌が見当たらない。
賢治という人は、日本人誰もが好む桜の美しさも好まなかったようで、満開の桜を蛙の卵のようだといったりする。
春の桜も秋の紅葉も、伝統的な日本人の美意識である。賢治はおそらく、既にある物語ではない、新鮮な自然を発見しようと、表現を彫琢しつづけた人だったのかもしれない。
by nenemu8921 | 2009-12-04 15:06 | 気象 | Comments(5)
麻がすっかり刈られましたので、畑のへりに一列にならんだたうもろこしは、
大へん目立って参りました。
胸のすきとほった飴色の甲虫だの、きれいな朱と黒の漆でぬったやうな
てんたうむしも飛んで来ました。
(略)
                                    童話「畑のへり」(初期形)

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ナナホシテントウ(テントウムシ科)光沢のある赤い体に7つの黒い円紋がある。幼虫、成虫ともにアブラムシを食べる。出現時期は4~8月(と図鑑にあるが、下ノ畑で昨日見つけた…)

童話「畑のへり」は、カエルの目でみたトウモロコシや人間をカエル的想像力で描いた奇妙な短編である。
しかし、この冒頭のきれいな朱と黒の漆でぬったやうなテントウムシという表現は的確で美しい。
by nenemu8921 | 2009-12-02 22:46 | 昆虫・クモなど | Comments(8)

宮沢賢治の愛した鳥や植物


by nenemu8921