すかんぽ→スイバ
2011年 05月 09日
ちいさき蛇の
執念の赤めを
綴りたる
すかんぽの花に風が吹くなり
歌稿B149

スイバ(タデ科ギシギシ属)Rumex acetosa 酸葉
田畑のあぜ道など人家近くに普通に生える多年草。各地ですかんぽと呼ばれている。
去る2011年、5月、7日の宮沢賢治研究会における読書会の折、心に残った作品。
歌は「小さな蛇の執念の赤い目を綴った(つづった)ようなすかんぽの花に風が吹いている」と、読めようか。
特に技巧のない短歌だが、歌われている感覚は、かなり異質である。
大正3年の初夏の頃の作品。
岩手中学を卒業し、看護婦に恋をして破れ、将来への展望もつかめず、鬱々としていた時期である。
すかんぽと呼ばれるのはイタドリの場合もあるが、ここではスイバ(酸い葉)であろう。
赤い目をした蛇はいるのだろうか?
蛇の目が赤いのは心象的なためだとか、執念の蛇だからだとか、意見が飛び交った。

昨年11月紅葉の撮影に千葉市泉自然公園へ行ったとき、冬眠まえのシマヘビに出会った。
よく見れば、確かに目の虹彩は赤い。
(苦手な方にはごめんなさい。私もちょっと弱いです)
賢治ワールドの面白いところは自然科学と文学の融合という面かもしれないと思う。
自然の捉え方に情緒的なところがない。
同時代の白秋の「土手のすかんぽジャワ更紗~~」という歌詞といかに違うか、興味深い。
追記
ロゴス古書さんの最近の記事で、このすいばに関して控えめな反論を拝見した。→ こちらをどうぞ。
判じ物風な文面で、しかもコメントを一部コピーしてあるだけで、出所も明確にされていないので、
読む方はきっと???だろうと思います。
このすかんぽはスイバではなくてイタドリであろうというのがご趣旨である。
その論拠はご自身が子どもの頃、イタドリをすかんぽと呼んで食していた思い出があるからだという。
賢治の蔵書にもあった牧野富太郎著の『植物図鑑』にも、「すいばを、一名 すかんぽとある」が。
とのことである。
ご趣旨はこの植物図鑑に基づいていないのに、なぜ、ここでこの本の紹介をされているのか不明。
ロゴス古書さんは、花巻市のご出身で、日ごろから何かと貴重なご教示を頂ことが多いありがたい存在です。
また、文学はとかく個人的思い出や思い込みで読まれることが多いのは仕方がないと思うのですが。
しかし、ここはテキストに沿って考えてみたい。
賢治文学におけるすかんぽの用例は、この短歌のほかにいくつかあります。
①爺さんの眼はすかんぽのやうに赤く
何かぶりぶり怒ってゐる 詩〔爺さんの眼はすかんぽのように赤く〕
②畦のすかんぽもゆれれば
家ぐねの杉もひゅうひゅう鳴る 詩〔まぶしくやつれて〕
③畦畦はたびらこの花 きむぽうげ
また田植花くすんで赭いすかんぽの穂
詩〔Largoや青い雲滃やながれ〕下書稿(一)
③の用例は定稿(最終稿)では
畦畦はたびらこの花 きむぽうげ
また田植花くすんで赭い すいばの穂 と手入れされます。
つまり宮沢賢治はすかんぽとすいばを同じものとして考えていたと見ることが出来ます。
前後の言葉とのつながりのなかで、音の響きから選択して使用しているのです。
さらにすいばの用例はたくさんあります。すべてを列記しませんが…。
①ぬれるのはすぎなやすいば
ひのきの髪は延び過ぎました。 詩「手筒」
②ずゐぶんあちこち酸性で
すゐばなどが生えてゐる 詩〔行きすぎる雲の影から〕
③…蜂がぶんぶん飛びめぐり
わたくしの影は岩の向ふの
赤いすいばの氈に落ちる… 詩〔行きすぎる雲の影から〕下書稿(一)
イタドリの用例は一例だけです
①中山街道はこのごろは誰も歩かないから蕗やいたどりがいっぱいに生えたり牛が遁げて登らないやうに柵をみちにたてたりしてゐるけれども~ 童話「なめとこ山の熊」
こうしたことを調べるのに、「新校本宮沢賢治全集」の別巻、索引篇はまことに便利です。
以上の用例を勘案すれば、歌稿149におけるすかんぽはイタドリではなく、すいばの意で使用しているとおもわれます。
歌稿を読み、実際のすいばを知っていれば、イメージは明らかなのですが…。
スイバもイタドリもタデ科の多年草植物で、雌雄異株。どちらもスカンポと呼ばれることがある。
スイバは赤い花、穂もあれば、青い花、穂もある。田の畦や畑にも生える。
イタドリは田の畦よりは山野に多い。白い小さな花をつけるが穂というイメージではない。
(稀にベニイタドリという赤い花をつける種類もあるが。)
どう見ても、《ちいさき蛇の執念の赤めを綴りたる花》は、スイバにふさわしいと思うのだが、いかがだろうか。
植物名は標準和名、俗名、方言などあってややこしいが、賢治文学の場合、さらに学名やそのもじりが使用されたり、賢治独自の造語もある。
辞典で、賢治文学は解読できない。風土文化だけでも駄目。
文章そのものをよく読むことこそが最初の一歩だと思う。
蛇足ですがスイバの用例でご紹介した②、③は、スカンコ、カタバミのイメージもあります。
すかんぽの咲く野原では、タンポポが綿毛に変わり、ヘラオオバコが群落を作っていた。


執念の赤めを
綴りたる
すかんぽの花に風が吹くなり
歌稿B149

スイバ(タデ科ギシギシ属)Rumex acetosa 酸葉
田畑のあぜ道など人家近くに普通に生える多年草。各地ですかんぽと呼ばれている。
去る2011年、5月、7日の宮沢賢治研究会における読書会の折、心に残った作品。
歌は「小さな蛇の執念の赤い目を綴った(つづった)ようなすかんぽの花に風が吹いている」と、読めようか。
特に技巧のない短歌だが、歌われている感覚は、かなり異質である。
大正3年の初夏の頃の作品。
岩手中学を卒業し、看護婦に恋をして破れ、将来への展望もつかめず、鬱々としていた時期である。
すかんぽと呼ばれるのはイタドリの場合もあるが、ここではスイバ(酸い葉)であろう。
赤い目をした蛇はいるのだろうか?
蛇の目が赤いのは心象的なためだとか、執念の蛇だからだとか、意見が飛び交った。


(苦手な方にはごめんなさい。私もちょっと弱いです)
賢治ワールドの面白いところは自然科学と文学の融合という面かもしれないと思う。
自然の捉え方に情緒的なところがない。
同時代の白秋の「土手のすかんぽジャワ更紗~~」という歌詞といかに違うか、興味深い。
追記
ロゴス古書さんの最近の記事で、このすいばに関して控えめな反論を拝見した。→ こちらをどうぞ。
判じ物風な文面で、しかもコメントを一部コピーしてあるだけで、出所も明確にされていないので、
読む方はきっと???だろうと思います。
このすかんぽはスイバではなくてイタドリであろうというのがご趣旨である。
その論拠はご自身が子どもの頃、イタドリをすかんぽと呼んで食していた思い出があるからだという。
賢治の蔵書にもあった牧野富太郎著の『植物図鑑』にも、「すいばを、一名 すかんぽとある」が。
とのことである。
ご趣旨はこの植物図鑑に基づいていないのに、なぜ、ここでこの本の紹介をされているのか不明。
ロゴス古書さんは、花巻市のご出身で、日ごろから何かと貴重なご教示を頂ことが多いありがたい存在です。
また、文学はとかく個人的思い出や思い込みで読まれることが多いのは仕方がないと思うのですが。
しかし、ここはテキストに沿って考えてみたい。
賢治文学におけるすかんぽの用例は、この短歌のほかにいくつかあります。
①爺さんの眼はすかんぽのやうに赤く
何かぶりぶり怒ってゐる 詩〔爺さんの眼はすかんぽのように赤く〕
②畦のすかんぽもゆれれば
家ぐねの杉もひゅうひゅう鳴る 詩〔まぶしくやつれて〕
③畦畦はたびらこの花 きむぽうげ
また田植花くすんで赭いすかんぽの穂
詩〔Largoや青い雲滃やながれ〕下書稿(一)
③の用例は定稿(最終稿)では
畦畦はたびらこの花 きむぽうげ
また田植花くすんで赭い すいばの穂 と手入れされます。
つまり宮沢賢治はすかんぽとすいばを同じものとして考えていたと見ることが出来ます。
前後の言葉とのつながりのなかで、音の響きから選択して使用しているのです。
さらにすいばの用例はたくさんあります。すべてを列記しませんが…。
①ぬれるのはすぎなやすいば
ひのきの髪は延び過ぎました。 詩「手筒」
②ずゐぶんあちこち酸性で
すゐばなどが生えてゐる 詩〔行きすぎる雲の影から〕
③…蜂がぶんぶん飛びめぐり
わたくしの影は岩の向ふの
赤いすいばの氈に落ちる… 詩〔行きすぎる雲の影から〕下書稿(一)
イタドリの用例は一例だけです
①中山街道はこのごろは誰も歩かないから蕗やいたどりがいっぱいに生えたり牛が遁げて登らないやうに柵をみちにたてたりしてゐるけれども~ 童話「なめとこ山の熊」
こうしたことを調べるのに、「新校本宮沢賢治全集」の別巻、索引篇はまことに便利です。
以上の用例を勘案すれば、歌稿149におけるすかんぽはイタドリではなく、すいばの意で使用しているとおもわれます。
歌稿を読み、実際のすいばを知っていれば、イメージは明らかなのですが…。
スイバもイタドリもタデ科の多年草植物で、雌雄異株。どちらもスカンポと呼ばれることがある。
スイバは赤い花、穂もあれば、青い花、穂もある。田の畦や畑にも生える。
イタドリは田の畦よりは山野に多い。白い小さな花をつけるが穂というイメージではない。
(稀にベニイタドリという赤い花をつける種類もあるが。)
どう見ても、《ちいさき蛇の執念の赤めを綴りたる花》は、スイバにふさわしいと思うのだが、いかがだろうか。
植物名は標準和名、俗名、方言などあってややこしいが、賢治文学の場合、さらに学名やそのもじりが使用されたり、賢治独自の造語もある。
辞典で、賢治文学は解読できない。風土文化だけでも駄目。
文章そのものをよく読むことこそが最初の一歩だと思う。
蛇足ですがスイバの用例でご紹介した②、③は、スカンコ、カタバミのイメージもあります。
すかんぽの咲く野原では、タンポポが綿毛に変わり、ヘラオオバコが群落を作っていた。


ああ、へらおおばこ・・・懐かしいです。ドイツに
たくさんありました。ヘビと紅葉の写真、いいわぁ~。
たくさんありました。ヘビと紅葉の写真、いいわぁ~。
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おはようございます✿
私の子どもの頃もよくスカンポをかじっていました。
何処に行けば大きなのがあるかと情報を得て遠出をしたこともあります。
ヘラオオバコを撮りに行かないと思っているのですが最近は
特別自宅好きになってしまいました~(笑)
私の子どもの頃もよくスカンポをかじっていました。
何処に行けば大きなのがあるかと情報を得て遠出をしたこともあります。
ヘラオオバコを撮りに行かないと思っているのですが最近は
特別自宅好きになってしまいました~(笑)
いつも、ありがとうございます!!
スイバは庭裏に根を張ってしまってちょっと困っています(ギシギシかも…食べてみればわかるかしら?)。
ヘラオオバコ、穂先の一つ一つが可愛いお人形のよう。シマヘビ君はなかなかの眼力ですね。獲物探しでしょうか。
前に登場したヒメウツギ、『卯の花』というと私はこの花が浮かびます。主張する花ではないけれど、何だか心に残る花です。
スイバは庭裏に根を張ってしまってちょっと困っています(ギシギシかも…食べてみればわかるかしら?)。
ヘラオオバコ、穂先の一つ一つが可愛いお人形のよう。シマヘビ君はなかなかの眼力ですね。獲物探しでしょうか。
前に登場したヒメウツギ、『卯の花』というと私はこの花が浮かびます。主張する花ではないけれど、何だか心に残る花です。
odamakiさん、やはり、すかんぽの思い出ありますか?
子どもの頃を思い出すなつかしい響きですね。
ヘラオオバコは可愛いですよね。小さなバレリーナの衣装のようで。
蛇、大丈夫でしたか?
odamakiさんが苦手だろうなと心配しながらUPしました。
子どもの頃を思い出すなつかしい響きですね。
ヘラオオバコは可愛いですよね。小さなバレリーナの衣装のようで。
蛇、大丈夫でしたか?
odamakiさんが苦手だろうなと心配しながらUPしました。
3po-studioさん。
よかったです。ご無事で。お元気で。
震災前からずっと無言だったので、PCは忘れてしまったのかと思いましたよ。
お住まいは内陸部かと思っていました。
どうぞ、元気出してください。
時々は更新してくださいね。
よかったです。ご無事で。お元気で。
震災前からずっと無言だったので、PCは忘れてしまったのかと思いましたよ。
お住まいは内陸部かと思っていました。
どうぞ、元気出してください。
時々は更新してくださいね。
by nenemu8921
| 2011-05-09 22:58
| 植物
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