すすき
2014年 10月 24日
ゆられてうごいて、波を立てているのでした。
ごとごとごとごと、その小さなきれいな汽車は、そらのすすきの風にひるがえる中を、天の川の水や、三角点の青じろい微光の中を、どこまでもどこまでもと、走って行くのでした。
向う岸も、青じろくぽうっと光ってけむり、時々、やっぱりすすきが風にひるがえるらしく、さっとその銀いろがけむって、息でもかけたように見え、また、たくさんのりんどうの花が、草をかくれたり出たりするのは、やさしい狐火のように思われました。
それもほんのちょっとの間、川と汽車との間は、すすきの列でさえぎられ、白鳥の島は、二度ばかり、うしろの方に見えましたが、じきもうずうっと遠く小さく、絵のようになってしまい、またすすきがざわざわ鳴って、とうとうすっかり見えなくなってしまいました。
二人は、ぎざぎざの黒いくるみの実を持ちながら、またさっきの方へ近よって行きました。左手の渚には、波がやさしい稲妻のように燃えて寄せ、右手の崖には、いちめん銀や貝殻でこさえたようなすすきの穂がゆれたのです。
「いまでも聞えるじゃありませんか。そら、耳をすまして聴いてごらんなさい。」
二人は眼を挙げ、耳をすましました。ごとごと鳴る汽車のひびきと、すすきの風との間から、ころんころんと水の湧くような音が聞えて来るのでした。童話「銀河鉄道の夜」
ススキ(イネ科ススキ属) Miscanthus sinensis 芒、薄。
「銀河鉄道の夜」は南欧あたりを舞台にしたという。銀河鉄道が巡るのは、宇宙空間であり、天上でもあるが、車窓からの景色は、河原で風になびくススキが繰り返し、描かれる。
ススキが風に揺らぐ風景は、日本の風景である。その光景は文学や絵画において、日本人の心象とシンクロするように、くりかえし描かれてきた。ススキを歌った歌曲のなんと多いことか。
しかし、宮沢賢治の描くススキの光景は情緒的な水墨画風なススキでもなく、情念の心象的アイテムとしてのススキでもない。
透明で硬質な叙情をたたえた無国籍の雰囲気がある。一体誰がススキの穂を貝殻に例えることができるだろう。
陽が沈む前の乗鞍高原の草原では、ひときわススキが美しかったです。白く火のように燃えておりました。
ピッカリフィルター? を持参しなかったことはいかにも悔やまれました。
3枚目は良いですね。
1泊2日で秋山郷に行って来ました。
紅葉は見頃、お天気は最高、良い旅になりました。
ひとコマですね。
賢治のみたススキのイメージは深いのですね。
「天の野原」でみた風景なのでしょうか。
賢治の「星めぐりの歌」を思い出しました。
「あかいめだまの さそり・・・
・・・・・
あおいめだまの 小いぬ・・・・」
メロディーがついていて口ずさみたくなります。
ススキが日射しを穂いっぱいに受けた時の輝きは眩しいほどです。
そのきらめきの印象が強く残っていて「銀や貝殻でこさえたようなすすきの穂」という天上の風景を創造したんでしょうか。
誰も真似の出来ない表現でしょうね。
逆光の写真の中でも、ススキは好きな方です。
何か哀愁を感じてしまうお写真ですね♪♪