法事で、近くの割烹旅館「玉川」という店を使いました。度々の台風の襲来で、家族みんなの日程の調整がつかず、ようやく、実現しました。ご存知ですか?ここは太宰治が、戦前逗留して原稿を書いたという大正10年創業の由緒あるお店です。建物も、インテリアも、器も、そして女将も、何もかもアンテークな雰囲気でした。
料理はもちろん、和食です、なかなかゴージャスでしたよ。小学生の孫二人も同席しましたが、珍しがって、とても喜んでいました。
太宰がこの宿で過ごした桔梗の間が、当時のまま残されていました。女将が案内して、解説もしてくれました。2間ほどの小さな部屋です。窓からは海が見えたそうです。この辺りは浜辺だったのですね。
太宰治が最後に入水自殺をした玉川上水とは、この玉川旅館とは特につながりはないそうです。愚息一家は台風19号で氾濫した多摩川の近くなので(高台のため被災はせずに済みましたが)、子どもたちの学校の休校や交通機関の不備などいろいろあって、たいへんだったようですが、とにかく元気で、ほっとしました。被災された親しい知人や友人の皆さんにお見舞い申し上げます。(なんだか、無事で暮らせる立場を後ろめたく感じてしまう日々です)
創業大正10年、歴史ある純和風旅館の“割烹旅館 玉川”は、今も宴会や宿泊などで多くの来客がある、船橋を代表する旅館であり、平成20年には国の登録有形文化財となっています。
そんな玉川の「桔梗の間」という部屋に、太宰は20日間ほど泊まって小説を書いていたといわれています。滞在費用を払うことができず、その形(かた)として本や万年筆を旅館に置いていったと伝えられていますが、昭和51年、旅館の母屋が火災に遭い、なくなってしまったといいます。(船橋市のHPから。https://www.city.funabashi.lg.jp/funabashistyle/jp/past-topics/p049781.html)
太宰治も船橋で過ごした日々は、芥川賞受賞から外れ、佐藤春夫に懇願の手紙を書いたりしていた時期でした。
宿は温泉もあり、孫たちは大喜びで、露天風呂に入りました。
料理は伊勢海老をメインにした和食のコースでしたが、おしゃべりと食欲で撮影は思うようにできず。最後のデザートの栗のケーキとコーヒー。ホームメイドの雰囲気でした。
仲居さんの対応が実に行き届いていて、気分良かったです。でも、料金は息子が心配してくれたほどではなく、リーズナブルでしたよ。
台風15号、19号の襲来で、予定していた日程は、たびたびキャンセルし、多くの皆さんにご心配をいただきました。故人も家族一族みな元気で忙しく過ごしている様子を見て、安心し、喜んでくれていることと思います。これで、私も区切りをつけて、今後の生活設計をきちんとしようと思います。