文語詩論
2015年 08月 05日
「宮沢賢治研究《文語詩稿》未定稿 信仰詩篇の生成」
信仰詩篇とは、信仰にかかわる要素がうかがえるものという定義だそうです。

著者の島田隆輔氏は、現在、中村元記念館東洋思想文化研究所研究員のお立場です。
ここ数年、宮沢賢治の文語詩研究に携わり、その成果を評価されて、
2012年に宮沢賢治学会奨励賞を受賞されておられます。
ありがとうございました。これから勉強させていただきます。
鵞黄の柳
2013年 03月 23日
片頬むなしき郡長、 酸えたる虹をわらふなり。
文語詩「酸虹」



文語詩一百篇の一つ。
鵞黄(がおう)は、がちょうのひなの毛が淡黄色で美しいことから、黄色で美しいもののたとえ。
酸虹(さんこう)は、賢治の造語。酸えたる虹とは何か。饐(す)ゆの連用形だが、賢治は酸の字を当てている。
饐えるとは、飲食物が腐って、酸っぱくなることだが、ここでは虹が次第に薄くなり、消えかかった状態を
イメージしたい。
「鮮やかな黄色に萌え出た柳がたびたび窓を打つので、立ち上がって見れば、
やあ、虹が消えかかっているよと、役所の郡長はどこかうつろな横顔を見せて笑うのだった」と読めようか。
余韻が残る光景である。
賢治が柳の文字を宛てるときは、シダレヤナギである。
学名がバビロン・サリックスであることから、別の作品ではバビロン柳という表記もある。
水元で出会った野草 ノバラの実
2010年 11月 09日
鐘をならせばたちまちに、部長訓示をなせるなり。
文語詩 「式場」

赤きみゆふののいばらを
液量計の雪に盛る
鐘を鳴らせばたちまちに
かしらを下しまた反りて
部長訓示をなせるなり
文語詩 「式場」(下書稿)

Rosa multiflora 野茨
山野にふつうに生える落葉低木で高さ2mほどになる。枝にはとげが多い。円錐形の花序に直径2~3cmの白色の5弁花を多数開く。分布は日本全土。
文語詩一百篇の作品である。文語詩篇ノートに、「ノバラ、アケビ、ツルウメモドキノ藪、雪、シリンダー、内務部長」のメモが1926年、1月の項にある。
国民高等学校の折の出来事らしい。開校式か、卒業式であろうか。
「岩手国民高等学校」は、1926(大正15)年、1月、花巻農学校に開設された。デンマーク式に即ったもので岩手県が三ヶ月の短期間に農村の指導者を養成する目的(文化の向上・成人教育・地方自治の基礎)で、行ったもの。
校長は県の内務部長だった。
このとき、農学校でも宮沢賢治ら、期間中嘱託となって講座を受け持ったという。
壇上には雪を盛った円筒形の器に真っ赤な野茨の実を飾った式の会場である。
開会を告げる鐘が鳴ると、県の部長は即座に壇上に立ち、訓示をたれるのだった。
と、そんなところだろうか。
下書き稿を勘案すれば、県のお役人はしきりに頭を下げたり、又ふんぞり返ったりしていた様子である。
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せきれい
2010年 02月 09日
人人は岸に石積む
そらしろくつゆこんけはひ
せきれいのわざにもしるく
舟わたす針金の索
ひたひたと水面を拍てり
みなかみは黒き船橋
雲かづく死火山の藍
きみが辺を来るこの川の
水まして水は濁らね
柳やゝ青らむなべに
人人なほ石積めり
文語詩「麻打」下書稿(一)

本州中部以北で繁殖し、本州以南で越冬する。最近は温暖化で分布も南下している。
海岸、河川、農耕地などに生息し、建物の隅や草の根元などに巣を作る。
セキレイの習性で腰を上下に振る様を見て、「ああ、雨になるよ」という地方があったという。
もちろん俗信だが、この詩句はそうした背景が感じられる。
舞台は北上川。
長雨による川の氾濫を予防するため、人々が岸辺に石を積み上げているのである。
手入れで、「人々岸に石積み/はりがねの籠を編みたり」という詩句がある。
今で言えば、土嚢を積むといったところだろう。
この文語詩は再三の手入れを経て、定稿ではせきれいは姿を消してしまう。
驟雨が降り出し、野ばらの根元に蟻の群が登場する。

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ふきの葉
2009年 02月 20日
しかはあれかの雲の峯をば
しづかにのぞまんはよけんと
蕗の葉をとりて地に置けるに
講の主催者
その葉を師に参らせよといふ
すなはち更に三葉をとって
重ねて地にしき置けるに
師受用して座しましき
文語詩「講后」

東北以北に自生する。巨大なフキ。茎を砂糖漬けなどにする。葉柄の長さは 2 メートル、葉の直径は 1.5 メートルにもなるという。
最近では栽培したものが多く、自生しているものは少ないと言われているが、岩手山麓で見つけた。
1906年8月1日~10日、賢治の父政次郎も中心になって活動していた花巻仏教会は、中央から暁烏敏を招き、大沢温泉で、夏期講習会を主催した。
賢治10歳の時で、このとき、少年賢治は侍堂として、師の身辺の用を勤めたという。
その折の体験を晩年思い出して文語詩に描いた作品。未定稿である。
あるとき、一行は温泉の裏山に登った。雲の峯を眺めようと、フキの葉を座布団代わりに、三枚重ねて地に敷き、師はその上に座したというのである。
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スイセン
2009年 01月 08日
あたまひかりて過ぎ行くは、 枝を杖つく村老ヤコブ。
影と並木のだんだらを、 犬レオナルド足
売り酒のみて熊之進、 赤眼に店をばあくるなり。
文語詩「村道」

地中海沿岸原産の多年草。この属にはラッパスイセンやニホンズイセンなど色や形の異なる種や品種が多くあるが、この属に含まれるものを総称してスイセンと呼んでいる。日本には早い時代に渡来し、各地に自生地がある。画像はニホンスイセン。

作品は文語詩五十篇の一つ。平和な村の光景である。
栽培した水仙をかついで朝日の中を詮之助がやってくる。ヤコブと呼びたいような村の古老が木の枝を杖代わりに歩く姿にすれちうがう。おはよう。古老の頭は日に光っている。
並木の影が落ちてだんだら模様になっている道をレオナルドという犬が走ってくる。
酒屋の熊之進は、目を赤く充血させて、ようやく店の戸をあけようとしている。きっと昨夜も売りものの酒を飲んだんだな。
大意はこんなところだろうか。
この作品は、口語詩「1043 市場帰り」に手を入れて、文語詩に改作したもの。
微妙にニュアンスが異なっている。が、この文語詩の明るい雰囲気が好きだ。
追記
表記の間違いのご指摘をご丁寧にいただいた。
犬レオナルド足蹴ればではなくて、足織ればである。
全く気がつかずにいた。というより、足蹴ればだと思い込んでいた。
今校本全集を確認すれば、たしかに足織ればとあり、全く赤面の至である。
このことによって、解釈が異なるだろうか。
並木とその影でだんだら模様になった道を犬が歩く。その足取りがだんだら模様に機織るように見える、
と解したい。
I先生、まことにありがとうございました。 2011・11・17
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ツツドリ
2008年 10月 23日
つつどり声をあめふらす、 水なしの谷に出で行きぬ。
厩(うまや)に遠く鐘鳴りて、 さびしく風のかげろへば、
小さきシャツはゆれつゝも、 こらのおらびはいまだ来ず。
文語詩〔こらはみな手を引き交へて〕

ツツドリ(ホトトギス科)
夏鳥として九州以北の山地の林に渡来し、秋は平地の桜の木の毛虫をよく食べに来る。
主にセンダイムシクイに托卵。ポポ、ポポと続けて鳴く。カッコウに似ているが、下面の斑は太くて粗く、目は暗色。
ツツドリが鳴く外山の初夏。子ども達は誘い合って、谷へ遊びに行った。農家の庭先には洗濯された子どもらのシャツだけがゆれている。
子どもらの不在ばかりが気になるのは、その母の視点からのスケッチだからである。
この作品は神隠しがテーマだとする読解もあった。
ツツドリが雨降らすほどに鳴けば、不吉な雰囲気が盛り上がる。
この夏も岩手山麓や外山周辺でツツドリの声を聞く機会はあったが、いつも姿は確認できない。むしろ、渡去途中で首都圏周辺の平地で見かけることが多い。この画像も千葉市郊外の自然公園での撮影だという。秋には彼らは特徴のある鳴声を聞かせてくれないから、よく似たカッコウやホトトギスとの識別がたいへんである。
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教浄寺
2008年 03月 11日
(雪やみて朝日は青く、 かうかうと僧は看経。)
寄進札そゞろに誦みて、 僧の妻庫裏にしりぞく。
(いまはとて異の銅鼓うち、 晨光はみどりとかはる。)
文語詩〔僧の妻面膨れたる〕

教浄寺
盛岡市北山1丁目にある時宗擁護山無量院教浄寺。
賢治が盛岡高等農林学校への受験勉強のため、大正4年1月から4月に入学するまで、
下宿した寺である。
雪の季節に訪ねたいと思っていた。
本堂まで案内してくださった第57代目のご住職の話では、
賢治は当時、本堂の片隅で、ついたてを立てて勉強していたという。

こちらが本堂である。
奥の一角、「雨ニモマケズ」の立派な額が掲げられている下のあたりが勉強したところだという。
これでは僧の妻の挙動をじっくり観察できただろうなと思ったのだった。

境内にはこの文語詩の立派な詩碑が建立されている。
高松の池
2008年 03月 06日
をさけび走る町のこら、 高張白くつらねたる、 明治女塾の舎生たち。
さてはにはかに現はれて、 ひたすらうしろすべりする、 黒き毛剃の庶務課長。
死火山の列雪青く、 よき貴人の死蝋とも、 星の蜘蛛来て網はけり。
文語詩「氷上」

高松の池
岩手県盛岡市高松にある公園の池。
最近では、白鳥の飛来地として市民に親しまれている。
地元の方の話では戦後も昭和30年代までスケートは行われていたという。
訪れた日、1羽の黒鳥が白鳥に混じって歓迎してくれた。


東根山
2008年 02月 10日
古き岩頸(ネック)の一列に、 氷霧あえかのまひるかな。
(略)
文語詩「岩頸列」

盛岡の南南西約15キロの地点にある。標高928m。ドーム状の山容なので、袴腰とも称される。

南昌山
盛岡の西南約12キロの地点にあるトロイデ型(鐘状)の山。標高848m。
箱ヶ森
盛岡の西南約10キロの地点にある山。標高866m。
岩頸(ネック)は、賢治のお気に入りの表現。火山噴出物が地上への通路の中で固まって生じた火成岩が、火山の侵食によって周囲からとり残されて出来た円柱状の柱。
「楢ノ木大学士の野宿」では、賢治自身が「岩頸といふのは、地殻から一寸頸を出した太い岩石の棒である」と解説している。
西には、箱ヶ森、毒ヶ森、椀コ(大石山)、南昌山、東根山といった古い岩頸の山々が一列に連なり、そこに、氷霧がかすかにかかっている真昼の情景である。(『宮沢賢治。文語詩の森』より)
この情景は花巻から盛岡へ向かう高速道路から見ると逆の順番で見える。いつもこの光景に出会うと車を停めたくなる。が、高速道路上なのでそんなことは出来ない。
昨年11月は友人の車に乗せてもらったので、車内から撮った。